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やっぱり昔の特急は必要最小限の駅にしか停まらないから特別急行という貫禄ありますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。特急列車自体の少なさも『特別感』を更に大きくしていますよね。
舞鶴経由の敦賀行きとか幻の北陸新幹線w
岐阜県民で、両親の実家は村上市ですが、70年代までは村上通過で乗る機会がありませんでした。初期の頃の白鳥は本当に停車駅が少なく、食堂車まで連結されていて、本当に特別な列車だったんですね。80年代以降よく乗りましたが、本当に便利な列車でした。
大館・弘前での「接続なし」。最終列車感満載。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。『接続なし』が多くなると、夜が更けていくように感じますね。夜中の青函連絡船への乗り継ぎが近くなってきたことを感じさせますね。
子供のころ青函連絡船に乗った時に船内で食べたホタテ弁当がおいしくなくて1口食べてやめた記憶がよみがえりました それから一時はホタテが嫌いになってました 購入した弁当がたまたま悪かったのか自体がおいしくなかったのかわかりませんが・・・ 現在では大好物になっています UPお疲れさまでした
特急「白鳥 青森行」 大阪→ 京都 → 敦賀 → 福井 → 大聖寺 → 金沢 → 高岡 → 富山 → 直江津 → 長岡 → 新津 → 鶴岡 → 酒田 → 秋田 → 東能代 → 大館 → 弘前 → 青森 「青函連絡船」 青森 → 函館 「急行 ライラツ ク 札幌行」函館 → 森 → 八雲 → 長万部 → 惧知安 → 小沢 → 小樽 → 札幌 😮
酒田の辺りから流れるBGMが、夜の帳が下りで真っ暗な中を淡々と走行していく情景と完全にマッチしていてすごくいいと思いました😊
準急「おくしり」の終点江差、胆振線、岩内線、今や留萌本線の終点になってしまった札沼線の石狩沼田等今では鉄路で行くことが出来ない路線が出てきましたね。さらに急行ライラックの通過駅だが瀬棚線の分岐駅だった国縫も廃駅の危機になってしまっているのは時代の流れなのか。今宵もニセコ駅が「狩太」を名乗っていたいい時代の珠玉の列車たちに乾杯🍻
上野駅まで気動車🚃が乗り入れていたなんて、全く知りませんでした。乗ってみたかったです。今回も各地で長距離普通列車が活躍していましたね🥇
お疲れ様です。毎週土曜日の楽しみです。今度は、青森から大阪の時刻を見てみたいですね。いらない事だけど、タイトルが、上野行きになってますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。上りも、乗り換え列車が変わり、面白そうですね。タイトル修正致しました。ご指摘ありがとうございました。
昭和50年の春に金沢から敦賀まで特急白鳥に乗り、敦賀から急行大社で名古屋まで乗った。485系電車は快適でしたが、キハ58系気動車は草臥れていて、エライ違いでした。
きましたね、私の週一回のお楽しみ時間。本当に、いつも動画編集お疲れ様です。…今回は白鳥号か。これも、思い出があるんだよな。小さい時に時刻表を手にして、長距離列車の代表格ということも知らずに、ページの下まで行ったら、「〇〇ページに進む」みたいな、まるでスゴロクをやってるかのように、終点に着くまでいくつものページを、日めくりカレンダーみたいに見ていった記憶があるね。こんな長距離列車は、二度と出てこないだろうな…。子供の頃の思い出が、動画を見て蘇ります。いつ見てもいいわ…。
大阪8:15発、途中全駅通過で京都8:46着というところに時代の流れを感じました。今は新快速が途中2駅停車で所要30分を切ってますから。
当時の気動車特急としては頑張っていたのでは?ちなみに当時の特急こだま等の電車特急の京都~大阪間の所要時間は30分でした。
次回は同ルートの「上り」編でお願いします。ただし、札幌からは千歳線、室蘭本線ルートという条件です。
白鳥が485系の時代に、上野駅着のいなほが回送の表示をする際に、白鳥のマークをみた時は感動しましたね。
この旅は、日本列島の長さを実感出来る旅ですね腰とお尻が痛くなりそう…
リクエストは昭和55年の特急「白鳥」と特急「北海」に乗って旭川へ
トワイライトエクスプレスは旅行を目的としていたり、今この再現は7社(北陸新幹線開業後は8社)にまたがる移動で白鳥廃止はまだ区間分離だが北陸新幹線は経営分離だから過剰設備の在来線となった。
昭和50年の春に金沢から敦賀まで特急白鳥に乗り、敦賀から急行大社で名古屋まで乗った。485系電車は快適でしたが、キハ58系気動車は草臥れていて、エライ違いでした。白鳥を初めて実物で見たのは、昭和40年のお盆に兵庫県に向う途中で、比叡が彦根に停車していた時、上り線を米原に向けて通過中の白鳥を眺めていた。
多分この年のこの時刻表の「白鳥」で大阪から札幌に乗ってる幼児の頃の写真が確かあり、過ぎ去ってしまった人達のことを思い出していました。
湖西線のまだない時代ですもんね。しっかり米原経由ですね。
日本海白鳥は、大阪と青森を結ぶ日本海縦貫弾丸特急に見えました。今この特急が経由する主要都市間を鉄道移動しようと、乗り換え案内アプリで探索するならば、必ずしも日本海縦貫ルートが出てこないのではないでしょうか? 高崎経由だったり、大宮経由だったり、東京経由だったりします。北陸新幹線はいつかは新大阪延伸するでしょうが、日本海縦貫新幹線はできそうにないので、高速バスや空路が流行することになりそうです。
小樽で保存されているキハ82-1は、昭和39年当時は、向日町にいました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。海を超えて小樽で静かに余生を過ごしていると思うと、感慨深いものがありますね。一度見に行ってみたいです。
通過駅多いなぁ。さすが特急!
新津〜鶴岡間無停車とは。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。今では考えられないくらいの通過っぷりですね。まさしく特急だなと思います。
40年ほど前、初めて北海道へ行ったときに乗りました。大阪から青森。今となっては飛行機が一般でしょうが、学生でお金もなかったので。あ、帰りも。その後は北海道周遊券で稚内まで行ったのがいい思い出です。
大阪から札幌まで当時の鉄道だと約27時間ですか・・・。今だと飛行機で伊丹から千歳まで約2時間とちょっとですから、とても同じ距離を移動したとは思えない雄大ささえ感じます。また湖西線がない時代、大阪・米原間は従来の東海道本線の列車に加え北陸本線を走る列車も走っていたので、上野・大宮間のようにさぞや賑やかなダイヤだったと思います。大阪から特急「白鳥」、さらに青函連絡船に急行「ライラック」と現存してないものばかりですが、この時代にいたのなら札幌までぜひ乗車、乗船してみたかったですね。1980年代の時刻表を眺めると大阪から金沢、富山、更には新潟行きの多数の「雷鳥○号」の表記の中、午前10時頃に特急「白鳥」がポツンと現れ、この列車だけ青森に行くことが目立っていました。また青森発だと同じ時刻に583系で運行されていた上野行きの特急「みちのく」が発車していたので、その様子も青森駅でぜひ見たかったものです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。大阪から札幌への移動は飛行機がメインになった理由がよくわかりますね。米原駅は今とは違い、様々な方面へと向かう列車が行き交い、ホームに一日いても飽きなかったでしょうね。『白鳥』と『日本海』が引退する間際の時代、白鳥には乗れませんでしたが日本海に乗って函館まで移動した事が良い思い出です。普段は見かけない列車をみつける毎に、『遠くまでやってきたな』と鉄道旅の良さを感じながら車窓を楽しんでいました。
約27時間(函館から特急おおぞら利用なら約25時間)だと、関西圏から北海道への移動は船(フェリー)も選択肢に入っていたでしょうね。今でも敦賀や舞鶴から北海道行のフェリーは運行されていますし。
この頃は小浜線に優等列車が走ってたんだな。
都市と都市を繋ぎ、様々な方が入れ替わりつつ駆け抜けていたというのは当時は当たり前のことであっても今ではロマンかも知れませんね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。18キップに限らず、鉄道旅をしていると各地方の方言を聞くことができて、それが楽しみの一つでした。寝台列車のロビーではたまたま乗り合わせた人との会話で盛り上がったりと、ロマンが溢れていましたね。
上り秋田駅発はつばさと同時発車の時刻。キハ82の白鳥は漢字の明朝体、つばさはひらがなのゴチック体が並ぶ。秋田駅の名物のシーンが眩しい。同じく大阪駅から西へはひらがなのなは、明朝体の日向併結時代が82系の最たる勇姿だ。
昭和40~同末期まででも、既に新幹線で東京を経由した方が青森に行くのは多少は速かったのですが、それでも京阪神から青森まで白鳥を乗り通す人が少なくなかったのは、乗り換え不要だったのが大きかったと思います。新幹線の料金も馬鹿にならない上、東京~上野の乗り換えもかなり面倒でしたので。(長距離旅行は荷物が重くなりがちなのに、そこで混んでいる山手線や京浜東北線に乗らなければならないのは、東京人以外にはしんどい。)何よりも、ずっと日本海と自然に囲まれた地域を見ながらの旅はいいものです。
これに近い、西の日本海縦貫特急といえば、「まつかぜ」であり、機会があれば見てみたいですね。京都発(後に新大阪発に短縮)で福知山までは東海道&福知山線経由ですが、そこから下関まで山陰本線を走破し、博多まで行ってしまうのには驚きです。もう、このような在来線特急急行は現れそうもないですので。
札幌からはまなすで青森で乗り換え白鳥で大阪まで乗りました。全然飽きなかった。新潟で7分停車しました。駅弁を買いました。あの時は何かゆったりしていました。今は無理でしょうね。
羽越本線の特急停車駅である、村上や温海(現あつみ温泉)、余目、象潟、羽後本荘まで通過とは、当時の白鳥が渡道優先だったのが伺えますね。因みに羽後本荘は翌年1965年のダイヤ改正から停車駅になったそうです。
余目、象潟は白鳥の停車駅ではなかった記憶です(昭和50年頃から昭和末期までですが。鷹ノ巣に停車するようになったのは謎ですが。)。そのころでも、糸魚川、魚津も確か通過だったはず。それでも北陸温泉郷への乗客が多かったのか、当時から大聖寺停車だったのですね(後の芦原温泉・加賀温泉停車にも通じるものがあります)。函館~札幌の山線にはまだ特急北海が走っていなかったのですね。
青森で0時10分の連絡船、上野からのはつかりにも接続してたんだね。船のキャパすげー
時刻表見るだけで興奮しますライラックって急行だったのですね
特急白鳥号の大聖寺と動橋の争奪戦は有名だが、停まらなかった小松市は面白くなかったとか。後は有名な能生駅事件です。
92年やったら、特急「白鳥」と急行「はまなす」で時刻表旅をリクエストします。
あの当時は、飛行機が高嶺の花だったから、移動といえば、列車一択だったよね。盆休みや年末年始 ゴールデンウィークの時は、移動時間に割かれて、現地の滞在時間が取れず大変だったからね。
この頃ってまだ北陸線の新潟区間はまだ旧線だったんだな乗ってみたかったな
令和の今なら罰ゲーム、拷問級の行程だ。なんぼ食堂車があるとはいえ簡易リクライニングの座席車に15時間以上も座りっぱなしだなんて想像しただけでケツが痛い。せめて客車、日本海のように背筋を伸ばして横にならなければ。
ちなみに、当時の白鳥はキハ82ですから、簡易リクライニングすらしません。ちなみに、子供の頃に乗り通したことがありますが、急行などのシートより高級だったので、十分ゼータクな感じはしました。
敦賀の30秒停車は気動車だからでしょうね。客車なら機関車の切り替えがあるでしょうから、もう少し長時間停車でしょう。直江津の停車時間の短さも驚きです。これじゃ切り離し作業は見れないじゃないですか(笑)。白鳥もそうですが、ライラックも停車駅が少ないですね。黒松内や余市が通過なんですね。山線は新幹線開業後が厳しいですが、果たしてどうなることやら。
昼行特急で貴重な睡眠時間は連絡船でコマ切れにされる1日を超える地獄の突貫行
特急おおぞらを利用したら、函館0455発釧路1525着で、合計所要時間31時間10分の超ロングラン2泊3日の旅行している様な長旅を誇った
運転停車であって紙面上は通過扱いをする能生駅に時刻が記載されてしまったことで、交通新聞社や国鉄は相当慌てたことでしょう。胆振線はバス代替運行されていますが今は乗り通しができなくなってしまいました。弘前という駅名を見たときに弘南鉄道のことを思い浮かびました。当時は東急で走っていた7000系が弘南鉄道大鰐線・弘南線で現役を貫いていることが驚きです。養老鉄道ではあと30年近くは走るとのことなので嬉しいです。
函館からだと5時台の急行石狩もあり〼。この列車のみになった3軸ボギー半車食堂車スハシ38が売り??
最後の最後、札幌→石狩沼田の所要4時間…ぬわぁぁぁぁψ(`皿´)ψ
まだ新大阪が開業する前か
特急白鳥(日本海縦貫特急)大阪 0815発青森 2347着青函連絡船青森 0015発函館 0435着急行ライラック(ヤマ線経由)函館 0600発札幌 1058着合計所要時間26時間43分大阪~札幌を24時間超えで結ぶ壮大な旅路を誇った
今の時代に683系とか使ってやったらもっと早そう
長岡京って昔は神足って駅名だったんだ…なかなか難読駅名やな
🙌🎉
当時の編成で言えば"日本海白鳥"ですね。新潟を経由せずそのまま羽越本線に入り、所要時間の増大を抑える方式でしたね。そして北海道側はライラックを採用したのが渋いですね。北海道連絡は機会があったら山線を通る特別急行"北海"や山線を経由しながらそのまま稚内まで行く"急行宗谷"あるいは網走まで行く"特別急行おおとり"も本州からの接続あるいは本州への接続版で見たいですね
いつもご視聴とコメントありがとうございます。特急おおとりとは『はつかり』の動画で取り扱いましたので、今回は山線経由のライラックに着目してみました。北海道から本州へ向かう乗り継ぎも面白そうですね。
確かに。ライラックは特急時代しか知りませんでした。
これはまさにあり得ないルートだ
いつもご視聴とコメントありがとうございます。国鉄らしい、ありえないルートですよね。
大阪青森間を気動車で走破となると、途中で給油が必要?🤔
当時からキハ80系は給油なしで完走可能でした。青森では深夜に給油して翌日早朝の上り運行に備えていたのかな。
大聖寺に停車し、作見駅は通過しているのに時代を感じます。ご存じの通り、大聖寺は動橋と、激しい特急停車駅争い。その争いの末、中間の作見駅を「加賀温泉駅」と改称し、特急停車駅に…となりました。
やっぱり昔の特急は必要最小限の駅にしか停まらないから特別急行という貫禄ありますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
特急列車自体の少なさも『特別感』を更に大きくしていますよね。
舞鶴経由の敦賀行きとか幻の北陸新幹線w
岐阜県民で、両親の実家は村上市ですが、70年代までは村上通過で乗る機会がありませんでした。初期の頃の白鳥は本当に停車駅が少なく、食堂車まで連結されていて、本当に特別な列車だったんですね。80年代以降よく乗りましたが、本当に便利な列車でした。
大館・弘前での「接続なし」。最終列車感満載。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
『接続なし』が多くなると、夜が更けていくように感じますね。夜中の青函連絡船への乗り継ぎが近くなってきたことを感じさせますね。
子供のころ青函連絡船に乗った時に船内で食べたホタテ弁当がおいしくなくて1口食べてやめた記憶がよみがえりました それから一時はホタテが嫌いになってました 購入した弁当がたまたま悪かったのか自体がおいしくなかったのかわかりませんが・・・ 現在では大好物になっています UPお疲れさまでした
特急「白鳥 青森行」 大阪→ 京都 → 敦賀 → 福井 → 大聖寺 → 金沢 → 高岡 → 富山 → 直江津 → 長岡 → 新津 → 鶴岡 → 酒田 → 秋田 → 東能代 → 大館 → 弘前 → 青森 「青函連絡船」 青森 → 函館 「急行 ライラツ ク 札幌行」函館 → 森 → 八雲 → 長万部 → 惧知安 → 小沢 → 小樽 → 札幌 😮
酒田の辺りから流れるBGMが、夜の帳が下りで真っ暗な中を淡々と走行していく情景と完全にマッチしていてすごくいいと思いました😊
準急「おくしり」の終点江差、胆振線、岩内線、今や留萌本線の終点になってしまった札沼線の石狩沼田等今では鉄路で行くことが出来ない路線が出てきましたね。さらに急行ライラックの通過駅だが瀬棚線の分岐駅だった国縫も廃駅の危機になってしまっているのは時代の流れなのか。
今宵もニセコ駅が「狩太」を名乗っていたいい時代の珠玉の列車たちに乾杯🍻
上野駅まで気動車🚃が乗り入れていたなんて、全く知りませんでした。乗ってみたかったです。
今回も各地で長距離普通列車が活躍していましたね🥇
お疲れ様です。毎週土曜日の楽しみです。
今度は、青森から大阪の時刻を見てみたいですね。
いらない事だけど、タイトルが、上野行きになってますね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
上りも、乗り換え列車が変わり、面白そうですね。
タイトル修正致しました。ご指摘ありがとうございました。
昭和50年の春に金沢から敦賀まで特急白鳥に乗り、敦賀から急行大社で名古屋まで乗った。
485系電車は快適でしたが、キハ58系気動車は草臥れていて、エライ違いでした。
きましたね、私の週一回のお楽しみ時間。
本当に、いつも動画編集お疲れ様です。
…今回は白鳥号か。
これも、思い出があるんだよな。
小さい時に時刻表を手にして、長距離列車の代表格ということも知らずに、ページの下まで行ったら、「〇〇ページに進む」みたいな、まるでスゴロクをやってるかのように、終点に着くまでいくつものページを、日めくりカレンダーみたいに見ていった記憶があるね。
こんな長距離列車は、二度と出てこないだろうな…。
子供の頃の思い出が、動画を見て蘇ります。
いつ見てもいいわ…。
大阪8:15発、途中全駅通過で京都8:46着というところに時代の流れを感じました。今は新快速が途中2駅停車で所要30分を切ってますから。
当時の気動車特急としては頑張っていたのでは?ちなみに当時の特急こだま等の電車特急の京都~大阪間の所要時間は30分でした。
次回は同ルートの「上り」編でお願いします。ただし、札幌からは千歳線、室蘭本線ルートという条件です。
白鳥が485系の時代に、上野駅着のいなほが回送の表示をする際に、白鳥のマークをみた時は感動しましたね。
この旅は、日本列島の長さを実感出来る旅ですね
腰とお尻が痛くなりそう…
リクエストは昭和55年の特急「白鳥」と特急「北海」に乗って旭川へ
トワイライトエクスプレスは旅行を目的としていたり、今この再現は7社(北陸新幹線開業後は8社)にまたがる移動で
白鳥廃止はまだ区間分離だが北陸新幹線は経営分離だから過剰設備の在来線となった。
昭和50年の春に金沢から敦賀まで特急白鳥に乗り、敦賀から急行大社で名古屋まで乗った。
485系電車は快適でしたが、キハ58系気動車は草臥れていて、エライ違いでした。
白鳥を初めて実物で見たのは、昭和40年のお盆に兵庫県に向う途中で、比叡が彦根に停車していた時、上り線を米原に向けて通過中の白鳥を眺めていた。
多分この年のこの時刻表の「白鳥」で大阪から札幌に乗ってる幼児の頃の写真が確かあり、過ぎ去ってしまった人達のことを思い出していました。
湖西線のまだない時代ですもんね。しっかり米原経由ですね。
日本海白鳥は、大阪と青森を結ぶ日本海縦貫弾丸特急に見えました。
今この特急が経由する主要都市間を鉄道移動しようと、乗り換え案内アプリで探索するならば、必ずしも日本海縦貫ルートが出てこないのではないでしょうか? 高崎経由だったり、大宮経由だったり、東京経由だったりします。
北陸新幹線はいつかは新大阪延伸するでしょうが、日本海縦貫新幹線はできそうにないので、高速バスや空路が流行することになりそうです。
小樽で保存されているキハ82-1は、昭和39年当時は、向日町にいました。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
海を超えて小樽で静かに余生を過ごしていると思うと、感慨深いものがありますね。一度見に行ってみたいです。
通過駅多いなぁ。さすが特急!
新津〜鶴岡間無停車とは。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
今では考えられないくらいの通過っぷりですね。まさしく特急だなと思います。
40年ほど前、初めて北海道へ行ったときに乗りました。
大阪から青森。今となっては飛行機が一般でしょうが、学生でお金もなかったので。
あ、帰りも。
その後は北海道周遊券で稚内まで行ったのがいい思い出です。
大阪から札幌まで当時の鉄道だと約27時間ですか・・・。今だと飛行機で伊丹から千歳まで約2時間とちょっとですから、とても同じ距離を移動したとは思えない雄大ささえ感じます。
また湖西線がない時代、大阪・米原間は従来の東海道本線の列車に加え北陸本線を走る列車も走っていたので、上野・大宮間のようにさぞや賑やかなダイヤだったと思います。
大阪から特急「白鳥」、さらに青函連絡船に急行「ライラック」と現存してないものばかりですが、この時代にいたのなら札幌までぜひ乗車、乗船してみたかったですね。
1980年代の時刻表を眺めると大阪から金沢、富山、更には新潟行きの多数の「雷鳥○号」の表記の中、午前10時頃に特急「白鳥」がポツンと現れ、この列車だけ青森に行くことが目立っていました。また青森発だと同じ時刻に583系で運行されていた上野行きの特急「みちのく」が発車していたので、その様子も青森駅でぜひ見たかったものです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
大阪から札幌への移動は飛行機がメインになった理由がよくわかりますね。
米原駅は今とは違い、様々な方面へと向かう列車が行き交い、ホームに一日いても飽きなかったでしょうね。
『白鳥』と『日本海』が引退する間際の時代、白鳥には乗れませんでしたが日本海に乗って函館まで移動した事が良い思い出です。普段は見かけない列車をみつける毎に、『遠くまでやってきたな』と鉄道旅の良さを感じながら車窓を楽しんでいました。
約27時間(函館から特急おおぞら利用なら約25時間)だと、関西圏から北海道への移動は船(フェリー)も選択肢に入っていたでしょうね。今でも敦賀や舞鶴から北海道行のフェリーは運行されていますし。
この頃は小浜線に優等列車が走ってたんだな。
都市と都市を繋ぎ、様々な方が入れ替わりつつ駆け抜けていたというのは当時は当たり前のことであっても今ではロマンかも知れませんね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
18キップに限らず、鉄道旅をしていると各地方の方言を聞くことができて、それが楽しみの一つでした。寝台列車のロビーではたまたま乗り合わせた人との会話で盛り上がったりと、ロマンが溢れていましたね。
上り秋田駅発はつばさと同時発車の時刻。
キハ82の白鳥は漢字の明朝体、つばさはひらがなのゴチック体が並ぶ。秋田駅の名物のシーンが眩しい。
同じく大阪駅から西へはひらがなのなは、明朝体の日向併結時代が82系の最たる勇姿だ。
昭和40~同末期まででも、既に新幹線で東京を経由した方が青森に行くのは多少は速かったのですが、それでも京阪神から青森まで白鳥を乗り通す人が少なくなかったのは、乗り換え不要だったのが大きかったと思います。
新幹線の料金も馬鹿にならない上、東京~上野の乗り換えもかなり面倒でしたので。(長距離旅行は荷物が重くなりがちなのに、そこで混んでいる山手線や京浜東北線に乗らなければならないのは、東京人以外にはしんどい。)何よりも、ずっと日本海と自然に囲まれた地域を見ながらの旅はいいものです。
これに近い、西の日本海縦貫特急といえば、「まつかぜ」であり、機会があれば見てみたいですね。
京都発(後に新大阪発に短縮)で福知山までは東海道&福知山線経由ですが、そこから下関まで山陰本線を走破し、博多まで行ってしまうのには驚きです。もう、このような在来線特急急行は現れそうもないですので。
札幌からはまなすで青森で乗り換え白鳥で大阪まで乗りました。全然飽きなかった。新潟で7分停車しました。駅弁を買いました。あの時は何かゆったりしていました。今は無理でしょうね。
羽越本線の特急停車駅である、村上や温海(現あつみ温泉)、余目、象潟、羽後本荘まで通過とは、当時の白鳥が渡道優先だったのが伺えますね。因みに羽後本荘は翌年1965年のダイヤ改正から停車駅になったそうです。
余目、象潟は白鳥の停車駅ではなかった記憶です(昭和50年頃から昭和末期までですが。鷹ノ巣に停車するようになったのは謎ですが。)。そのころでも、糸魚川、魚津も確か通過だったはず。それでも北陸温泉郷への乗客が多かったのか、当時から大聖寺停車だったのですね(後の芦原温泉・加賀温泉停車にも通じるものがあります)。
函館~札幌の山線にはまだ特急北海が走っていなかったのですね。
青森で0時10分の連絡船、上野からのはつかりにも接続してたんだね。
船のキャパすげー
時刻表見るだけで興奮します
ライラックって急行だったのですね
特急白鳥号の大聖寺と動橋の争奪戦は有名だが、停まらなかった小松市は面白くなかったとか。
後は有名な能生駅事件です。
92年やったら、特急「白鳥」と急行「はまなす」で時刻表旅をリクエストします。
あの当時は、飛行機が高嶺の花だったから、移動といえば、列車一択だったよね。盆休みや年末年始 ゴールデンウィークの時は、移動時間に割かれて、現地の滞在時間が取れず大変だったからね。
この頃ってまだ北陸線の新潟区間はまだ旧線だったんだな
乗ってみたかったな
令和の今なら罰ゲーム、拷問級の行程だ。なんぼ食堂車があるとはいえ簡易リクライニングの座席車に15時間以上も座りっぱなしだなんて想像しただけでケツが痛い。せめて客車、日本海のように背筋を伸ばして横にならなければ。
ちなみに、当時の白鳥はキハ82ですから、簡易リクライニングすらしません。ちなみに、子供の頃に乗り通したことがありますが、急行などのシートより高級だったので、十分ゼータクな感じはしました。
敦賀の30秒停車は気動車だからでしょうね。客車なら機関車の切り替えがあるでしょうから、
もう少し長時間停車でしょう。直江津の停車時間の短さも驚きです。これじゃ切り離し作業は
見れないじゃないですか(笑)。白鳥もそうですが、ライラックも停車駅が少ないですね。
黒松内や余市が通過なんですね。山線は新幹線開業後が厳しいですが、果たしてどうなることやら。
昼行特急で
貴重な睡眠時間は
連絡船でコマ切れにされる
1日を超える
地獄の突貫行
特急おおぞらを利用したら、
函館0455発釧路1525着で、
合計所要時間31時間10分の超ロングラン
2泊3日の旅行している様な長旅を誇った
運転停車であって紙面上は通過扱いをする能生駅に時刻が記載されてしまったことで、交通新聞社や国鉄は相当慌てたことでしょう。
胆振線はバス代替運行されていますが今は乗り通しができなくなってしまいました。
弘前という駅名を見たときに弘南鉄道のことを思い浮かびました。
当時は東急で走っていた7000系が弘南鉄道大鰐線・弘南線で現役を貫いていることが驚きです。
養老鉄道ではあと30年近くは走るとのことなので嬉しいです。
函館からだと5時台の急行石狩もあり〼。
この列車のみになった3軸ボギー半車食堂車スハシ38が売り??
最後の最後、札幌→石狩沼田の所要4時間…ぬわぁぁぁぁψ(`皿´)ψ
まだ新大阪が開業する前か
特急白鳥(日本海縦貫特急)
大阪 0815発
青森 2347着
青函連絡船
青森 0015発
函館 0435着
急行ライラック(ヤマ線経由)
函館 0600発
札幌 1058着
合計所要時間26時間43分
大阪~札幌を24時間超えで結ぶ壮大な旅路を誇った
今の時代に683系とか使ってやったらもっと早そう
長岡京って昔は神足って駅名だったんだ…
なかなか難読駅名やな
🙌🎉
当時の編成で言えば"日本海白鳥"ですね。
新潟を経由せずそのまま羽越本線に入り、所要時間の増大を抑える方式でしたね。
そして北海道側はライラックを採用したのが渋いですね。
北海道連絡は機会があったら山線を通る特別急行"北海"や山線を経由しながらそのまま稚内まで行く"急行宗谷"あるいは網走まで行く"特別急行おおとり"も本州からの接続あるいは本州への接続版で見たいですね
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
特急おおとりとは『はつかり』の動画で取り扱いましたので、今回は山線経由のライラックに着目してみました。
北海道から本州へ向かう乗り継ぎも面白そうですね。
確かに。ライラックは特急時代しか知りませんでした。
これはまさにあり得ないルートだ
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
国鉄らしい、ありえないルートですよね。
大阪青森間を気動車で走破となると、途中で給油が必要?🤔
当時からキハ80系は給油なしで完走可能でした。青森では深夜に給油して翌日早朝の上り運行に備えていたのかな。
大聖寺に停車し、作見駅は通過しているのに時代を感じます。
ご存じの通り、大聖寺は動橋と、激しい特急停車駅争い。
その争いの末、中間の作見駅を「加賀温泉駅」と改称し、特急停車駅に…となりました。